コラム
3月11日、鹿島神宮と香取神宮にご神事にうかがってきました。
今年で、、、東日本大震災から5年ですね。
あの震災で、みなさんの中で、様々な思いが錯綜したかと思います。
私はというと、、、、
あたしは、幼少期、学童期、青年期と、
『一生懸命、勉強すると、いい大学に入れるから、そうすると大きな会社に入れるの。それが、あなたに一番の幸せなの。』
と親から言われて、それを着実に守って生きてきました。
そして、、、、あれが、私の人生の中で、その流れを根本的に変える大きなターニングポイントとなったなと感じています。
『人生なにがあるかわからない。悔いなく人生を生きたい。家族のそばにいたい。』
と、私の潜在意識に深く入ってきたんじゃないかと思います。
今、関係が深まっている堀内恭隆さんも、この震災がターニングポイントだったと言っていましたが、あの震災の時に揺すぶられた方がかなりいたようです。
が、、あの時に揺すぶられて、実際に動かれた方ってどれくらいなんだろう?
わたしは、いま、また、大きなターニングポイントを迎えるタイミングなんじゃないかなと、感じています。
『みなさんは、いかが感じていますか?』
『みなさんは、自分の人生をどうしていきたいでしょうか?』
『みなさんは、どんな人生にしていきたいかしら?』
本日、鹿島神宮と香取神宮に御祈りにうかがってきました。
鹿島神宮と香取神宮には、要石という石があります。
この要石は、東日本大震災の時に、東日本、関東地方を守ってくださいました。
実は、震災の前の年に、天橋立のそばの龍神社でトランブレーみゆきさんとお逢いして、イザナギノミコトとイサマナギノミコトが降り立った真名井神社に祈りを奉納したんですよね。
そして、その年、阿蘇と弊立神宮にみゆきさんとうかがうことになり、、、あの時に、たまたま、師匠が、弊立神宮で祈りを奉納していたんですよね。
そして、その翌年に、震災があったのですが、、、、
震災直後、、、妻が、被災の危惧をして、子どもたちと名古屋の実家に帰京しました。
その頃は、私も、定期的に名古屋に行っていました。
今回、鹿島神宮と香取神宮におうかがいして、あの一連の出来事はたまたまじゃないわね、、、これはと実感しました(笑)。
思えば、自分自身の大きな転換点だったとわかりました。
震災直後、熱田神宮のスサノオノミコトを奉る南新宮社の前で、阿蘇でご縁を頂いた方から、
『この富士のご神水を鹿島神宮の要石に奉納してほしい』とお話を頂いて、
鹿島神宮におうかがいして、御神水を要石に奉納をしました。
あの日、、、震災から10日あまり、、、鹿島神宮の鬼気迫るエネルギーでした。
そして、鹿島神宮にうかがって、鹿島神宮にスサノオノミコトとイナダヒメを奉る熱田社をお見かけした時には、鳥肌が立ったのを思い出します。
まぁ、信じるも信じないもどっちでもいいですけど、、、
あの時、、、東日本の場を守るために、身体をはって、エネルギー的に、献身的に支えてくれた方々がいたんです。
あれから、、、、氏神さまに奉納した御神水を鹿島神宮と香取神宮の要石に奉納するご神事を毎年させて頂いています。
今回、おうかがいして、、、、ご神事をさせて頂いて、、、、愛も変わらずの空間なんですが、
ちょっと今までと違う感覚というかインスピレーションがありました。
『(要石に御神水を奉納するのはありがたいが、)要は己にある。』
『みな、己(の愛)の為に邁進せよ。それがすべてにつながる。』
いやぁ〜愛されているわねぇ〜♡
堀内恭隆さんの全国10都市講演会もファイナルを迎え、新しいステージがはじまったという気がしています。
震災から5年、、、今回の鹿島神宮、香取神宮から頂いたメッセージも意味があるのかと感じています。
ありがとうございますぅ〜♡
鹿島神宮要石
香取神宮要石
熱田社
お気軽にどうぞ(^^)。
ニックネームは「たみちゃん」「たみ」と呼ばれています。
自分を癒して、自己成長を目指していく過程で、ある時にいきなりおねえさん言葉を連発するようになり、それが自分の中で抑圧をしていた女性性だと知る。
その女性性の名前がたみちゃん(ちなみに、男性性はやっさん)。
それ以来、女性性・男性性というものがどのようなものかを探求していく過程で、今の独自のセッションスタイルを構築。
男性性と女性性両面を持った男性ヒーラーとして活躍中。
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