コラム
実は、私が小さい頃の父親との記憶がほとんどありません。
かえってくるのはいつも深夜、早朝に家を出て、休みと言えば接待、、、、
父と会う機会もほとんどなかったんですよね。
父は、加藤家の五人兄弟の長男として生まれました。
終戦前までは裕福な家庭だったらしく、大森駅だか蒲田駅前にある御殿のような家だったそうです。
が、戦後、戦時中に軍隊に協力したとGHQの意向で、財産の没収の憂き目にあったらしくこともあって、
あっという間にほとんど財産がなくなってしまったらしい。
その後、祖父はおかしくなり、、、、自分の母と兄弟を父が支えていたそうです。
自分の弟や妹の大学までの学費も全部出したらしい。
すごいなぁ〜。
父は、この辺の昔の事は、なかなか、教えてくれなくて、、、、おじさんおばさんからちょっと聞くくらいだったんだけど、
最近、ちょっとずつ、話しをしてくれるようになったのよね。
最近、父に聞くと、懸命に働いていたときは、思い出したくなかったそうです。
父が祖父と絶縁した事や、祖母の思いなどいろいろな葛藤のある中で、葬式は自分が喪主として引き受けたり、
した背景とかもこの間聞きました。
実は、当時、祖父はずっと前に他界していたと聞いていたら、いきなり、祖父の葬式をやると言われて、
びっくりしたのよねぇ〜。
こうやって、思い直してみると、最近、父親の人生模様をいろいろ聞く機会があって、とてもうれしいです。
毎回毎回、話し聞く時に、『なんで、こんな話しが聞きたいんだ?』と父から聞かれるんだけど、
『だって、知りたいから』というと、最近は、あまり表情には出さないけど、話しをしてくれるのよね。
祖父の転落していった人生を目の当たりにしているから、自分は大学に入り、会社員になる道を選んだ。
当時は、熱海に住んでいたそうで、毎日、池袋あたりまで通学していたらしいわ。
そして、会社員として、猛烈に仕事をする道を選んで、ある種、頂点にたったのよねぇ〜。
すごいわぁ〜。
こんな、両親のすべてを引き受けたやっちゃんは、なるべくして、
やっちゃんは、『勉強⇒いい大学⇒大きな会社』の道を選んだのね。。。。
何も、父親と同じようにすべてを捨てて?、勉強一本になる事もあるまいに(笑)。
まぁ、ある意味、素直だったのね。
『その与えられた流れ、両親の思いに対して・・・・』
そんなことを思い馳せてみると、母親が私の小さい時に言っていた
『やっちゃん、いっぱいお勉強して、いい大学に入ると大きな会社に入れるのよ。』
『それがやっちゃんの幸せにつながるから。今は、お勉強がんばってね。』
というのも父親の事もあったのかもしれません。
と言っても、母親なりの過去も当然あったんだけど、、、これはまたの機会にしますね。
新婚当時、妻の愛ちゃんから、
『お父さんと話しているときって、まるで、会社の上司と話しているみたいね。』
と言われたんだけど、そのころに比べると変わったなぁ〜と思います。
これも、一悟術ヒーリング、ライフ・デザイン・メソッドを含めた自分の取り組みや
自分と関わってくれた皆様のおかげです。
ありがとうございます。
父親は、家には全然居なかったけど、それは、
『私の家庭では、あんな思いをさせない。』
という気持ちからだったんだと
『素直』であることは、わたしの長所なのよね。
これは両親から受け継いだものだと思う。
あの頃は、インナーチャイルドの影響もあって、両親や周りの動向に向けていたかもしれないけど、
自己乖離が解消されれば、そのエネルギーは、自ずと、自分に向いていきます。
この『素直』という面を、『自分に対して』向けていく。
これが、これからの流れになるのでしょうね。
おとうさん、ありがとね♡
ニックネームは「たみちゃん」「たみ」と呼ばれています。
自分を癒して、自己成長を目指していく過程で、ある時にいきなりおねえさん言葉を連発するようになり、それが自分の中で抑圧をしていた女性性だと知る。
その女性性の名前がたみちゃん(ちなみに、男性性はやっさん)。
それ以来、女性性・男性性というものがどのようなものかを探求していく過程で、今の独自のセッションスタイルを構築。
男性性と女性性両面を持った男性ヒーラーとして活躍中。
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