コラム
私が、小さい時、ぞくにいう幼児期・児童期・学童期の頃、母親から、
『やっちゃん、いっぱい勉強して、いい大学に入ったら、大きな会社に入るから、それが、やっちゃんにとって一番幸せなのよ。』
と言われていました。
その時の時流もあったんでしょうが、
あの頃は、世論も含めて多くの人はその道に行く事が、成功の近道だったのかなぁと思います。
そして、素直な私は、、、、その言いつけを守って、勉強をし続けました。
当時としては、異質だったかもしれない。小学校4年生からから塾に通って、中学受験もしましたし、その後もずぅ〜と塾に行っていました。
まぁ、そのかいもあって、某有名大学に入学する事が出来たのよね。
いろいろな方と話してみると、これって結構難しいことだったらしい。。。
これはこれでひとつの成功体験なんだなと今は思っていますが、、、、
でも、大学に入ってまず思った事、、、、
『で、わたしは何をしたらいいのか?』
でした。
親が設定していたのは、
【いい大学に入る=大きな会社に入る=人生のゴール】
だったんです。
でも、いい大学に入っても、その人生のゴールとやらは全く見えません。。。。
そりゃそうよね(笑)。
それに、、、そもそも、、、言っていた親本人も、経験した事ないんだから。
そして、あたしは、そこから、迷い人になっていったんです。
いやぁ〜大学時代、何をしていたんだか、、、、
それまでの約20年間、受験勉強にしか目を向けていなかったんですよね。
親の設定は、【いい大学に入る=人生のゴール】だったので、
いい大学に入れば、自由になれる、何をやってもいいなんて思っていました。
趣味?、、、めっそうもない。
好きな自然体験?、、、めっそうもない。
旅行?、、、めっそうもない。
星を見る?、、、めっそうもない。
クラブ活動?、、、めっそうもない。
恋愛?、、、めっそうもない。
この中で、、、唯一、たまに許可をしていたのが、天体観測でした。
あの頃の富士山はかなり星が奇麗に見れてまして、、、
台風が過ぎ去った後のあの星空、、、あれは、マウナケアで見た星空とひけを取らない美しさだったなぁ〜。
大学に入ればすべてが手に入ると思って、勉強を続けたんですよねぇ〜。
でも、大学に入って、しばらくして、分かった事、、、、
【これは、、、、、人生のゴールではない、、、、どうしたらいいんだ?】
でした。
けど、、、、そこから踏ん張る事は自分には出来ませんでした。
ゴールが自動設定されていて、ゴールしてしまった後にどうしたらいいかが、
プログラムされていなかったんですよね。
実際に、達成感を深く味わってしまうと、その後、動けなくなる事がよくあります。
ぞくにいう、【燃え尽き症候群】ですね。
この燃え尽き症候群のような状態にならないようにするには、
サヌキ(男性性)的には、自分の状態を都度確認をしながら、目標設定を変える事も非常に重要だったりしますし、
アワ(女性性)的には、そのときそのときを楽しむという感覚が重要です。
そして、その後、ある意味、無気力な生活が続いていたと思います。
大学で何を学んだか、、、あえて言うと、【世渡り】かな(笑)。
まぁ、これはこれで、生きてく上では、とっても大事なんだなぁ〜とは思ってますが、、、(^^;。
でも、大学時代に、これやりたいと思った事がいくつかありました。
例えば、『地球を旅して、いろいろな大地やいろいろな人とふれあう事、様々な経験をすること。』
例えば、『自分が知っている事、感じた事を、人に教えて、役に立つこと。』
とかかな。
具体的には、塾の先生になりたいとも思ったし、海外でいろいろな経験をしたいとも思いました。。。。
でも、これですらも、今まで未経験の領域だったし怖いなぁ〜とか、安定がなぁ〜とか、
大きな会社に入る事が幸せという設定で、踏み入れる事が出来なかったんですよね。
あのころの自分は、、、、LDMの堀内恭隆さんではないですが、、、、
【出来なかった】ではなくて、、、【やらなかった】のです。
すべてを、まわりの性にしていました。
そして、分からない、出来ない、無理だといろいろな理由を並び立てて、
やらないことを選択していたのです。
それに気がついたのは、、、ずっと後の事だったんですよね。
でも、、、、場当たり的な世渡りをしつつ、、、、
そのかいあってか?大きな会社に入る事が出来ました。
そして、親の言う、人生の幸せである、有名大学に入って大きな会社に入ることを達成しました。
で、、、、人生のゴールだったか、、、、幸せな人生というと、、、、そんなことはぜんぜんありませんでした。
そこが人生のゴールでもなく、幸せな人生の終着点でもありませんでした(笑)。
そして、また、一から、自分の生き方をコーディネートしていくことになりました。
そして、その大きな会社に入ってから、、、、会社の中で一定の成功をして、
【自分の人生を生きる】と決めきるまで、、、、、、
なんと24年間かかったんです。
よぉ〜は、入社した時の年と同じくらいの時間が必要だったんです。
会社に入った時から何か違う、これが私の人生の幸せ?本当?と思っていました。
けど、どうしたらいいかわからなかった。
親の設定した、『大きな会社に入るのがあなたの幸せ』という観念を外すのが怖かった。
今までの自分の生き方を否定するような気もしていたのかもしれません。
『新しい扉を開くなんて、、、、どうやって開くの?』
自動設定されているゴール以外に行く事なんて選べませんでした。
でも、自己啓発のセミナーに行ったり、いろいろなことをした。
けど、親が言う通り、幸せじゃないかもしれない。。。。。
【会社に行かないと生活が出来ない⇒安定的でない⇒生きていけない】
ということが潜在意識に自動設定されていたのです。
ちなみに、この自動設定のレベルは人それぞれです。
なので、あっさり辞められる人もいるんですよね。
あっさり辞めて、新しい生活が出来る人からすると、不思議でしょうがなかったりします。
『なんで?そんなにいやなら辞めちゃえばいいのに?簡単だよ。なんで辞めないの?』
と本気で思っています。
でも、昔の私みたいな人からすると、けっこう、死活問題なんですよね。
だって、『会社を辞める=安定じゃない=死んじゃう』となっているのですから。
私みたいな方は、この設定のまま辞めちゃうとそれを造り出しちゃう可能性もあるので、
事前にリカバーリーして、ある程度設定変更をしてから、動かれる事をお奨めします。
まぁ、人それぞれ必要なステップがあるということです。
私の得た経験というのは、
今でこそ言えるのは、そんなものは、大学にもなければ、大きな会社にもなくて、
【自分の中にしかない!】
ということです。
が、実際には、幼児期の時に設定された観念は、なかなか変える事が出来ません。
自分は、痛い目を見ながら、、、少しずつ、気付きがあって、軌道修正していったんですよね。
その結果、莫大なエネルギーとお金と時間を労する事になったなぁ〜と思います。
おかげさまで、じゃぁ会社を辞めるにあたって、どんなステップを踏めばいいのか。
会社というエネルギー胎から自分が巣立つにあたって、生まれていくには、
どんなステップを踏むのか。。。。
学ばせて頂きました。
堀内恭隆さんが、全国10都市公演プロジェクトin徳島で、
人に話しかける事に気が引けていた女性が、講演会の中で変化していく姿を見て、
『自分が経験して、その世界に行けたら、その過程を他の人にもしてあげる事も出来るようになる』
とおっしゃっていました。
ほんとその通りだと思います。
会社というのもエネルギーです。
あなたは個人であるとともに、家族の一員でもあるとともに、
会社というエネルギー・集合意識にも属しています。
このエネルギーとうまく交流をしながら、うまく活用しながら、
自分の次のステップに進んでいく事を私はお奨めしています。
あなたはどんな人生を送りたいですか?
ニックネームは「たみちゃん」「たみ」と呼ばれています。
自分を癒して、自己成長を目指していく過程で、ある時にいきなりおねえさん言葉を連発するようになり、それが自分の中で抑圧をしていた女性性だと知る。
その女性性の名前がたみちゃん(ちなみに、男性性はやっさん)。
それ以来、女性性・男性性というものがどのようなものかを探求していく過程で、今の独自のセッションスタイルを構築。
男性性と女性性両面を持った男性ヒーラーとして活躍中。
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