コラム
わたしは、
『いい、やっちゃん、一生懸命、勉強して、いい大学に入ったら、大きな会社に入れるから、それがあなたの幸せなのよ。』
『まずは、大学に入ったらね。やっちゃん、頑張ってね、応援しているわ。』
と言われて、ずっと、ずっと、自分を見ないように、勉強を続けてたのよねぇ〜。
そう言えば、当時は中学から受験する人は割と特殊だったんだけど、
中学校受験の時に、桐蔭中学校の受験をしました。
お友達といっしょに受けて、、、、合格発表を母親と一緒に見に行きました。
結果、私は落ちて、友人は受かったのよね。
受験発表の帰り道、ケンタッキーのいい匂いがして、、、、
『一緒に食べようよ』と友人と友人のお母さんに言われたんだけど、母親は断りました。
『なんで?』と思っていて、、、私がmその夜に、テレビで太陽にほえろ!を見ていたら、
『そんなもの見てないで勉強しなさい!』と言われたのよね。
なんか、えらい腹立ってきて、、、翌日の滑り止めの受験を受けるのをボイコットしたのでした。
まぁ、さんざ勉強やってきてて、、、、物心ついて、母親に抵抗した初めての事だったわ。
母親は、その後、ずっと機嫌取りしてたけどね(笑)。
あたしはがんとして、、、公立中学校に行くことになったのよねぇ、、、。
でも、中学校行っても塾はずっと行ってたわよ。
けど、あの時、もし、私学に行ってたら、、、、
その学校は男子校だったから、このウブさ加減が、もっと大変な事になっていたに違いないな。
高校にもなって、『子供ってどう生まれるの?』『コウノトリさんが運んでくるのよ』
って親子の会話が続いてたら、怖くない?十分あり得る(笑)。
少なくても女性とふれあう機会はゼロだったに違いないわ。
私の場合は、父親は、ほとんど登場機会がなかったので、、、、(実はこれが大きかった)
母親との関係中では、
『親からほめられる事をする』
『親から怒られない事をする』
『成績が良くないと自分のしたい事が出来ない』
『大きな会社に入らないと、私の人生は不幸になる』
『親や周りから評価されるために生きている』
そんなことが自分の一番の優先事項でした。
今思うと、父の登場機会がなかったから、【周りに評価される為に】というのが加速していったんだと思う。
なんだかんだで、、、父と母を喜ばせること怒られないこと生き甲斐にしていたわけね。
なんか、、、、こんな生き方寂しくない?(笑)。
けど、私のような生き方をしてきた、そして生きている人って、いっぱいいると思うですよね。
こんな生き方をするとどうなるか、、、、
【自分がなくなります。】
【何がしたいのか分からなくなります。】
【自分で決められなくなります。】
そして、母親の言う通り、有名大学に入りました。
小中高との大きな違いは、大学では授業を自分で選ぶんですよね。
この時に、、、
『自分ってなにしたいんだ?』
とわけわからなくなったんですよね。
このときは、まだ、自分の【幸せ】には踏み込む事は出来ませんでした。
『母親が言う、これがやっちゃんにとって一番の幸せなのよ』
という言葉の、、、『幸せ』ってなに?って。
そして、逃げました。
『どうしたら親がまわりが喜ぶか?』とずっと意識する自分がいたけど、
この時は、、、今思うと、多分、親といるのがつらかったのかもしれない。
大学時代は、友人宅をさまよい歩いてました。
大学時代は、勉強する意味も見つからない、自分と向き合う事も出来ない、、、
そんな煮え切らない時間が続きました。
唯一、家庭教師や塾の先生のバイトをしていて、
『人に教えるのって好きかも。』
と思ったんですけど、、、
母親から、
『塾の先生って、社会的にはどうなの?』
と言われて、、、やめちゃいました。
なんて、煮え切らない人だったんでしょう、、、、(^^;。
『あなたの人生は、お母さんが決めるんじゃないのよ!』
と今の私から言ってあげたい(笑)。
それからも、時間延ばしをしていて、、、、
そして、4年生になって、就職を前にして、、、、、
どうしたらいいのか、、、大学院に入るか?就職せずに海外でも放浪するか?
などいろいろなことを思ってはいたんですよね。
でも、あんな生き方してたから、自分じゃ決められない、、、。
夏に高知の友人の所に遊びにいくと言ったら、
『就職はどうするの?』『ちゃんとしなさい』と言われて、、、、、
今思うと、『ちゃんとしなさい』に過剰反応していたな(笑)。
大学推薦の話しは引く手あまただったところもあって、
『じゃぁ就職するか!』
とその高知行く前に内定が決まる会社にしようと、
就職を決めちゃったんですよね。
当時は、『オーディオ好き『と『大阪好き』と『松下幸之助』の3つの言葉だけで、
就職を決めたんですわ。
かるすぎる、、、まったく、自分の人生どう思ってんだか、、、(笑)。
『人生の幸せや成功ってなんなのか?』と思ったけど、、、
当時の自分は、まったく、自分の事は見てなかったです。
だって、人の評価を求める事しか出来なかったから。
自分の人生を決めるのって、、、、
子供の人生を決めるのって、、、
【自分(子供)】ですか?
【親】ですか?
これに対して、【本気で向き合っている】人がどれだけいるでしょうか?
わたしは、【本気で向き合っていなかった】経験があるので、痛切に感じるのです。
『あなたの人生は、、、誰の人生ですか?』
多分親は、『子供が傷つかない為に』と思って道を造ってくれたんだと思います。
『世の中は怖い所だから、私が守ってあげるわ。こうするといいのよ。』って。
その結果どうなったか、、、わたしは、あの頃、だれかの許可がないと動いてはいけないと思うようになりました。
これって、、、、子供の為でしょうか?
『この世の中は、ワンダーランド♫』とすると、、、、障害を全部とって、子供は楽しめるかしら?
『何人たりとも、あなたの許可なく、あなたを傷つけてはいけない。。。』
『傷つくことに恐れる事はない。』
一般社団法人LDM協会の堀内恭隆さんが、全国10都市講演プロジェクトで話しをしていました。
そうですよ!
ニックネームは「たみちゃん」「たみ」と呼ばれています。
自分を癒して、自己成長を目指していく過程で、ある時にいきなりおねえさん言葉を連発するようになり、それが自分の中で抑圧をしていた女性性だと知る。
その女性性の名前がたみちゃん(ちなみに、男性性はやっさん)。
それ以来、女性性・男性性というものがどのようなものかを探求していく過程で、今の独自のセッションスタイルを構築。
男性性と女性性両面を持った男性ヒーラーとして活躍中。
この記事が気に入ったら
シェア!しよう