コラム
みなさんは、家族旅行って何回行きましたか?
思い出はあるでしょうか?
実は、、、我が家は、家族4人(父親、母親、わたし、弟)での家族旅行は、
1回しかありませんでした。
父親にせがんでせがんで連れて行ってもらったところは、
あの『伊東に行くならハ・ト・ヤ、電話はヨイフロ~♪』で有名な(若い人は知らないかしら、、、)伊東のハトヤホテルでした。
当時は、週休二日という概念があまり定着していなくて、
しかも、父親は、平日休みの勤務だったし、
夏休みもあったんだかなかったんだか、、、、
年末年始は、親戚とお客様呼んで、、、、
それに、接待ゴルフにまーじゃん、、、、子供たちの入る隙間はなかったみたいね。
多分、子供ながらにさびしかったんだと思います。
さて、ハトヤホテルに行ったのは、小学校4~5年生位だったかなぁ~。
その時に、はじめて、新幹線に乗ったのよね。
ちょっとリッチな感じがして、大喜びしてました。
今思うと、ほんと、何にも知らない子だったんだなぁと思います。
うちの子供とか、もう子供たちだけで新幹線乗ってます(笑)。
子供のころに自分の知らない環境に行くという機会があまりなったのよね。
自分の知ってる環境にいつもいて、塾ばっかり行ってて、、、、
こうやって思い出してみると、
そのせいもあるのか、なんとなく恐くて、一歩を踏み出せないようになっていって、
新しい環境にチャレンジしていくとか、冒険心とかがかけてたんだなぁ~
と思います。
それに、男性性(サヌキ)・女性性(アワ)の観点から見ても、
父親との関係が薄いと、男性性(サヌキ)がおさえられますので、
男性性(サヌキ)の特徴である、チャレンジ精神や、冒険心が発揮できないのは、
なるべくしてなったのねという気がします。
ただ、私は帝王切開で生まれました。
母親の話によると、『とくかく痛かった』そうです。
それに、私が生まれる前に、何回か死産になったりしたと聞いています。
つまり、、、わたしを出産する時の母の不安たるは相当だったと思います。
それを考えると私のバーストラウマは相当すごいと思うのよね。
この二つの要因もあって、自分から行動を起こしていくと言うのが怖かったのかも。
『スーパーいい子ちゃん』にはなるべくしてなったのかもね。
そうそう、そのハトヤホテルですが、、、大雨でした(笑)。
外にも行けず、ホテルの中でもやることがなくて、、、
父親もいっしょでしたが、いつも話してないんで、会話も続かず、、、
父親も話す気もなく、、、、
結局、めったにさせてもらえなかったゲーム機なんかで弟と遊んでいました。
ゲーム一回100円、、、当時の私からすると、ゲームってすごい高価なものだったんですよね。お金についてはまたの機会に。
ニックネームは「たみちゃん」「たみ」と呼ばれています。
自分を癒して、自己成長を目指していく過程で、ある時にいきなりおねえさん言葉を連発するようになり、それが自分の中で抑圧をしていた女性性だと知る。
その女性性の名前がたみちゃん(ちなみに、男性性はやっさん)。
それ以来、女性性・男性性というものがどのようなものかを探求していく過程で、今の独自のセッションスタイルを構築。
男性性と女性性両面を持った男性ヒーラーとして活躍中。
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