コラム
私が会社員時代に培った能力についての新シリーズその2です。
関連記事は、下記です。よかったら参考にしてください。
【アワのマルチタスク能力とサヌキの集中力実現力を同時に発揮するには】
【『君が会社を辞めるのは断腸の思いだ』と社長に言われて会社を辞めるってどうですか?1】
よかったら、こちらもお読みくださいね。
前回の記事では、新入社員から、事業部営業という部署に配属して、
アワ(女性性)のマルチタスク能力とサヌキ(男性性)の集中力実現力を業務で同時に使えるようになっていたことを書きました。
今回、この記事を書くことになったのは、、、多分、私の父親との関係の変化が影響しているような気がします。
父親との関係の変化と今私が意識している社会に対する関わり方がシンクロして、この内容を書くことになったんじゃないかと思います。
父親は、自分が会社で何をしてきたのかは、一切、家庭では言わない人でした。
そんな中で、一部上場会社のトップレベルまで上がったのですが、、、まぁとにかく、子供に対しては無関心な人だったので、子供にとってみるとそれこそ壁のようなそんざいだったんじゃないかな。
そういえば、思い出したんですが、私が会社の面接を受けた時に、
面接官から、「どんな仕事がしたいか?」と言われて、
「全体を管理統率する仕事がしたい。自分なら出来る。」
と言ったんですよね。
実は、会社の仕事って何するのか全然分からなかったんで(^^;、
当時の私は、これやると偉くなるんじゃない?位でいたのですが、、、、(笑)、
事業部営業は確かにそう言う仕事でした。
なんでもわかって、何でも出来る、、、、まぁ、言うなれば、『万屋(よろずや)』ですね(笑)。
新入社員入ってから、次から次へと仕事がくるんで、、、それこそ遮二無二に仕事をしてた。
当時担当していたのは、東京民放・NHKなどの放送局で、放送局の担当♪きゃー♪と、
配属前は、すっごいハイカラなイメージだったんだけど、実際は、オシャレなイメージとかからは、かけ離れた世界だったわぁ〜(笑)。
まさしく失敗が許されない現場なので、まぁ〜厳しかったです。
当時は、それを馬力で処理をしていました。
なんか一匹狼のような感じで、、、、。
組織という仕組みがなんか苦手で、それにはじめての上司がそう言う人だったんですよね。
しかもその人は、1年で移動をして、、、
それからはその人の生き方を投射しているかのように、自分の上司以上の人とは交流しないで、
自分が基本すべてをやるという生き方をしてました。
ある意味、組織からみると自分勝手に見えたのかもしれない。
わたしは、会社に入った頃は、自分をPRするなんて概念もなかったんだけど、
直属の上司に全部預けていたんですが、、、成果はあがっているんだけど、評価されていないことに気がつきました。
ちょこっと自慢しちゃうと、チームに課長1名、係長2名、社員が6名としたら、、、私が毎年チームの全体の売り上げの1/4以上はあげていました。
けど、評価されなかった、、、、ということに、鈍感の私もようやく気が付きました。
その後の直属の上司によっては、私があげた成果を上司だけがやったかのように上層部に報告していることが後で分かったりして、、、
最初は、『組織として仕事としてうまくまわっていればいいんだ』と考えるようにしていましたが、
だんだん、自分のことをだれも認めてくれないことから、
『これだけやっているのに、、、成果もあげているのに、、、なんでなんだ、、、?』
と激しく落ち込んだこともありました。
まわりに対する評価で生きていると、あるリミッターを超えると自己否定ループに入ってとても苦しくなります。
正確に言うと、、、この段階で、自分の本当の状態に気づくとも言うんですけどね。
「組織がうまく回ればいいんだ」と思っていた私は、「本当は自分はそう思ってなかったんだ」ということにようやく気が付いたんですよね。
今、思うと、気が付いてよかったです(笑)、
けど、とある方から、、、、自分の能力を認められて、、、、ある時に転機が訪れます。
他の部署から、花一匁のように、引き抜かれたんです。
この部署が居心地がよかったんだなぁ〜。
『お前の自由にやっていい。失敗したらいっしょに謝ればいい。心配をするな。』
『新しいことにチャレンジしろ。』
『自分だけでやろうとするな、会社の財産をすべて使え。組織をうまく使え。』
『上層部の成果の報告は一緒にしにいく。そうすることで、上層部が君を知ることとなる。君の能力が分かってもらえる。』
そこからは水を得た魚のようにのびのびと生き生きと仕事をしていました。
いやぁ〜素晴らしい上司でした。
ここで一番学んだのが、
タスク管理に加えて、タスクを効率的に動かす為にはどのように組織を使ったらいいのかという能力が使えるようになりました。
それと、組織長の立場からは、部下育成については、
ということでした。
しかし、この蜜月の関係は、そんなに長くはつづかなかったんですよね。。。。
私の所属していた関西大手の総合電機メーカーは、創業者の崩御以降、会社全体で派閥争いが起こっていて、、、私も、組織改編の流れに巻き込まれていくのでした、、、、。
その3に続きまぁ〜す。
ニックネームは「たみちゃん」「たみ」と呼ばれています。
自分を癒して、自己成長を目指していく過程で、ある時にいきなりおねえさん言葉を連発するようになり、それが自分の中で抑圧をしていた女性性だと知る。
その女性性の名前がたみちゃん(ちなみに、男性性はやっさん)。
それ以来、女性性・男性性というものがどのようなものかを探求していく過程で、今の独自のセッションスタイルを構築。
男性性と女性性両面を持った男性ヒーラーとして活躍中。
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